医者は時給12万?―5分で10,000円の報酬―​


―医者にかかった時の費用は実際に払う自己負担額ではなく、

補填される金額を含めた費用を考えることの重要性―

日本は国民全員が医療保険に加入する国民皆保険制度がる。そのため、「ちょっと風邪気味だ」とか、「頭が痛い」とかので、気軽に病院に行くことができる。これ自体は素晴らしい制度である。

ここで問題なのが治療の「負担意識」である。3割負担、1割負担などがあるが。本当に安いのであろうか。そもそもは我々の税金から自己負担しない分は支払われている。だから、過剰に医者に行くことは間接的に、多くのお金を払っているという意識を持つ必要がある。負担している金額は、その場で医者に払う実際の金額ではなく、補助されるお金と実際の自己負担分を考える必要がある。

たとえば、治療費が合計で10,000円とする。自己負担額が3割だと「我々の税金から補助」されるのが7,000円で、自己負担は3,000円と考える。しかし、絶対に3,000円だと思ってはいけないのである。10,000円払っているという感覚をもたなければならない。

つまり、医者に5分の面会で10,000円の報酬を払っていると思うことが大事である。時給でいうと、10分で20,000円なので、60分で120,000円である。こういったコスト意識をもって医者に臨む必要があると思う。そうすれば医者が行う医療行為が適切か、処方された薬が適切かと問いたくなると思う。

例えば、30,000円のケーキを買う場合は、その対価に納得できる価値がないと買わないはずである。医者も5分で10,000円の治療サービスを提供しているが、その対価に納得できるような治療を受けているか常に考える必要がある。病院で実際に自分が払うお金が少ないため、医者の過剰な医療行為に患者は敏感でなくなるが、治療額全体を考えれば敏感にならざるを得ない。

先日、目をぶつけて眼科に検診にいった。片目である。しかし、なんと眼底検査(目の内の検査)を両目を行うというのである。これも説明なしにである。眼底検査を行うには特殊な目薬をつける必要があり、これをつけると目が数時間正常に動かない。

もし、本当に両目の検査が必要であるのであれば、事前にしっかりと医者自身が説明すべきである。しかし、医者の診断を終え、眼底検査に入るときに看護師がやってきた。なんと、なんの説明もなしに「両眼」に目薬をさそうとした。私は思わず「なぜ両眼ですか?片目しか怪我してないのに」と尋ねた。そうすると、看護師は「両眼を比較する必要がある」とかいって、さらに「なぜ」と私がつめよると「先生に聞いて来ます」といった。そうすると、検査は「片目」で良いことになった。やはり、本当に両眼を検査する必要はなかったのである。医者も稼ぐ必要があるのはわかるが、余分な検査、余分な薬の処方、余分な診療は極力排するように努力するべきである。

患者は弱い立場にあるが、必ず疑問に思ったら「なぜ」と医者に問いただすことは大切である。こんなことをいうと医者に十分に治療してもらえないかもしれないという不安はあるかもしれないが、しっかりと患者が意思を表明しないと、彼らも所詮は人間であり、医者に緊張感がなくなり、倫理的にも堕落してしまう可能性が非常に高い。

また、可能であれば自分の病についての知識をインターネットなどを通じて収集し、医者と同じ土俵で話ができる状態に持っていければ、医者とある程度対等の立場で患者として渡り合える。

不勉強な医者も多い。少しハードルが高くなってしまうが、できることなら自分の病と関連のある最新情報を「ランセット(The Lancet)」という査読制の英文医学雑誌に目を通せれば、不勉強な医者を見抜くことはそう難しくないだろう。 最新の知識が常に正しいとは限らないが、古い知識しか持ち合わせていない医者もすぐ見抜くことができるだろう。

医者に高潔さを期待できない今、病院では「なぜ」こういう治療が必要か、「なぜ」ある薬を処方するのかということを医者に直接問うことによってしか、適切な治療は受けられない時代になってきているような気がする。