「アメリカの奴隷制度」と「ジャズの即興演奏」と「幼少期の自分」の関連性

トランペット奏者のウィントン・マルサリスがPBSのジャズの歴史シリーズで「アフリカ大陸からアメリカに奴隷として連れてこられた人たちは、食べ物、気候、風土、習慣、言葉全てが異なっていた。それゆえ、奴隷はアメリカ本土では生活全体に亘り『即興』をせざるをえなかった」と語っていた。

 

生き延びる上で新しい環境に適応する技術としての即興は、音楽のジャズの重要な要素である自由に演奏する即興に影響を受けたと考えるのは一理あると思う。限られた環境の中で、自由に演奏するという行為。新天地に無理やり連れてこられた奴隷の生活における即興のスピリットがジャズの演奏の中に入り込んでいるのである。ジャズにはその場を凌ぐ技術としての即興とその即興を楽しむ自由が混在しているように思える。

 

第二次世界大戦に敗れた日本は「戦後の貧しい生活をなんとか即興で切り抜ける」という社会だったのかもしれない。それゆえ、アメリカのジャズは、日本人に比較的幅広く受け入れられたと考えられるかもしれない。また、そのジャズの即興の中にある種の開放感というか、「自由」を感じていたのかもしれない。

 

アメリカの著名な知的コメディアン、コナン・オブライエンは「So you can related to」

という言葉をよく使う。ある話題に常に自分との私的な関連性を見出しているのである。自分とジャズの関連性はなんだろうか。自分が幼いころからなんとなくジャズに惹かれたのは、振り返ってみるとその音楽を「自由に演奏して切り抜ける」姿だったのかもしれない。当時、理不尽な決まり事が多い日本の学校制度になんとなく不自由を感じていた自分はそこから精神的に自由になれそうな「ジャズ」に憧れていたのかもしれない。見かけは自由で理想であるが、日本の学校制度は姿の変えたアメリカの奴隷制度に似た要素があったのかもしれない。