AIも多くの人間もCritical Thinkingが苦手

Critical Thinkingの根幹は、ソクラテス流の「質問を問いかける」ことである。
突き詰めていくとランダムな事項に関心を寄せ自分の生命に危険が及ばず、自分を含め関心がある周囲の利益が長期的にみて最大化するような「問い」を投げかける能力である。
その問いかけを投げる上でAIはCritical Thinkingがしっかりとできる人間の僕(servant)として有用なのではないだろうか。「囚人のジレンマ」さえまだ解決しておらず、人間の非合理性は常について回る。

AIは人間の言語の文脈や細かにニュアンスは完全には理解できない。1400年1600年に英語では大母音推移(The Great Vowel Shift) が起きた。
現代でも米国カリフォルニア州でカリフォルニア母音シフト(The Californian Vowel Shift)が起きている。BigがBegのように発音されている。
しかし、一気呵成に起きるものではなくmirrorの発音に関しては従来の発音をする人もまだかなりいる。各地で話される英語の音の変化にAIは柔軟に対応できるだろうか。
AIは新しいデータについて学習することは可能であるが、人間のように柔軟に対応できない。 AIは解決策を既存のパタンーンやデータから導きだす。
AIは問題解決にたいしてそれなりの回答を出す。しかし、新しいアイデアを出したり、方法を思いつくことは困難なのではないのではないか。「Think outside of the box」にはCritical Thinkingが欠かせない。

倫理の概念についても国、地域、時代により異なり、非常に複雑で刻々と変わる状況に依存する。Critical Thinkingは倫理上の問いを投げかけることができる。しかし、AIは人間の価値や直感的な倫理観を考慮することは難しい。Amazonの顧客による商品Reviewはすべてを読まなくてよいようにAIに要約されている。しかし、確かにAIの要約は便利であるが、今後個々のコメントの閲覧が不可能になる可能性もある。そうするとAIの要約のソースを見ることもできず、やがて読み解くスキルも人間は失うかもしれない。

IQがもてはやされてはいたが、1990年にTIME誌で「人生で成功するために必要なのはIQではなく、EQ」とした。EQは心の知能指数である。Critical Thinkingは人間の感情や動機を理解した上で、疑問を投げかけることができる。
しかし、AIはまだEQが非常に低いのではないだろうか。 米国から来た食べ物を配達するUberは非常に便利である。しかし、注文品目が欠品していたり、食べ物を保温袋にいれて配達しなかったりという問題が多発しているそうである。
3回以上そういった問題が起き、クレームをいうと同社の倫理規定に反し、自動的にアカウントが停止になるという話もある。同社がすぐに問題に対して素早く返金システムを導入しているため、悪用する人が多いのも事実であろう。

しかし、実際にそういった問題が起こった客がクレームをいった場合も経済の効率で同様にアカウントが停止されるという仕組みになっているそうである。善人が悪用してないことを正すチャンネルが残されていればよいが、そこのチャンネルに到達するのもますます困難になるかもしれない。
Critical Thinking思考をする意欲がないと、AIという壁に諦めを感じ、「現況密着」となることが多いだろう。

Critical Thinkingができる日本語話者はどれくらいいるのだろうか。
オートポイエティックシステムとしての生物である人間はそのもの自体が創造をしているのではあるが、現況に密着する人間は「問い」を投げかけない。
マックス・ヴェーバーの「精神なき専門人、心情なき享楽人」はある意味で現代人の特徴である。専門家に特化し、大きな視点でCritical Thinkingの根幹である「問い」を人間はしたいのだろうか。同調社会、専門分化社会は、AIとの親和性が高く、Critical Thinkingを阻害する要因になっているではないだろうか。