「ショッピングモールとオンラインショッピングと音楽」 ―便利、快適、安全の欲求は自由を制限する。― ホッブス、ロック、ルソーは人間元来の性質を観察し偉大な著作を残した。 最近は人間の本質的な「性質」に関心がある。マズローは人間の欲求を5段階に分けたが、ここでは単純に人間は便利で、快適で、安全なものを求める性質があると仮定し話を進めたい。 便利、快適、危険がない安全への欲求でショッピングモールが繁栄した。 どこでも似たようなショッピングモールができた。 この便利さ、快適さ、安全の享受と引き換えに、多くの個人商店が潰れた。 もちろん、強力な個性を持った店は生き残るが、どの街に行っても、ひいてはどの国にいっても画一的製品が多数陳列されているショッピングモールが増え、多くの街は個性を失っていった。 今はコロナで人々が外出を控え、ショッピングモールにさえ行かなくなり、今度はもっと便利、快適、安全なオンラインショッピンが幅をきかせてきた。 コロナが去っても、人々は外出を放棄するようになるのだろうか。 ショッピングモールからオンラインショッピングへ繁栄が移行しても、その原因は人間の便利、快適、安全の欲求には変わりはないだろう。 これは音楽に関しても言えるような気がする。 人間は、耳に心地よい、快適で、聞くのに苦労しない音を求める欲求があるのかもしれない。 それゆえ、既にサンプリングされた音、加工されたビートをソフトウエアで作る音楽で溢れている。 個性を持った音楽の入る余地が徐々になくなっているのかもしれない。 もちろん、強力な個性を持った音楽も流布する。 サンプリングされた音からも個性がある音楽は生まれないというわけではないが、少なくとも人間が物を叩いたり、楽器を演奏したりするという、音を自然にあるものにコンタクトして作り出すとい原始的な行為が徐々に少なくなっているのは確かであろう。 人間が求める、便利、快適、安全という欲求は、このように個性的なものを生みにくくし、商品や音楽の選択肢を逆に縮めてしまっている可能性がある。 選択肢が限られるということは自由が制限されることである。人間が求める、便利、快適、安全により、自由が奪われている状態を喜ぶのは誰であろうか。 快適、便利、安全によって失われているものに目を少し向けると、実は不快、不便、危険ということもある程度許容しないと、知らぬ間に自由を失っている可能性がある。 人間は自由でありたいと願いながら、他の欲求で自ら自由を制限する状況を作っていることになかなか気づかないのかもしれない。